登山ガイド種市昇二郎】 【トップ】 【2009年山行計画】 【個人ガイド】 【青森県の山】 【一等三角点】 【スケッチブック


 一等三角点の側にコンクリートの柱を見たとき有りますか

  このページはこの不思議な建造物に魅せられた男の記録です。 天測点と子午線標一覧 

【天測点と子午線標の関係】
 天測点は標石というより観測台です。形状はコンクリートの柱で一辺27センチメートルの八角形、地上高さ1メートル程度になっており、この上に子午儀を載せ天文測量をします。天測点と対になっている子午線標は正確な方位を定めるために置かれます。天測点で緯度経度がはっきりしただけでは、どの方向が真北(磁石の指す磁北ではありません)なのか定まりません。紙に地図を描いて原点(天測点)を押ピンでとめたのと同じことで紙はぐるぐる回り方向がわかりません。天測点に東西南北を示す方位盤をおけばすむことですが巨大な方位盤でないと真北との誤差が大きくなります。そこで方位盤の替わりに天測点から見通しのきく離れたところに子午線標を設けます。理屈からいうと子午線標は天測点からみて真北でなくても真北からの方位角を求めて記録しておけばよいのです。真北を基準として右回りに測定した角度を方位角といいます。しかし子午線標という名前がつけば原則として天測点の真北か真南の子午線上にあります。子午儀の望遠鏡は天頂から子午線方向だけに動きますが、水平方向には動きません。このため天測点での子午儀の設置や観測中に機器の動きを点検するために真北か真南に子午線標を設置しました。
 子午線標には天測点からの夜間観測のために灯火付きの目標物が設置されました。子午線というのは地球表面上で経度のひとしい南北の線で方位が十二支の動物で表されていた頃は北を子(ね、ネズミ)、南を午(うま、馬)といった名残です。子午線にたいして東西方向の等緯度線は卯酉線(ぼうゆうせん)といい天頂において子午線と直角に交わる大圏(たいけん)になり天球上の基準線とされます。

 天測点は容易に繰り返し観測ができるようコンクリートの観測台になっていますが、昭和20年代には観測台ではなく観測位置だけをとどめる「方位標」という標石が設置されたこともあります。

 天測点、子午線標は永久標識とされているのですが、これは後続作業(再現作業)が予定されているからです。三角点を最初に設置するときには元位置で相手の見通しがなくても編心点や高測標などを設置して正確に方位を測定しますが天測点に対する子午線標は必ず見通しがきくところに設置されます



一等三角点研究会原稿【一等三角点の天測点と子午線標探索】

16年秋季例会に参加するため青森県三沢市から福島県郡山市を目指して国道4号線を南へ走る。前日、会長さんから直接の電話で「郡山・湖南線の源田温泉入口のバス停前で11時00分に」と待合せの連絡があった。新入会員(会員番号247番)なので是非例会に参加し皆さんとお会いしたく連絡しました。途中、道の駅「安達」で車中泊し、朝一番に小野町の【高柴山】884mに登り三等三角点を確認。再び郡山市に戻り、県道郡山・湖南線の源田温泉入口に着く10:37。バス停前で11:00待合せであったが皆さんまだ着いてない。源田温泉前で高田副会長さんと合う。電話連絡で到着は12時過ぎるので、昼飯を食べて待つことにする。新ハイキング社のマイクロバスで到着、冨田会長グループRCM(ロマンとカルチャーと山の会)一行18名です。これが私と会長冨田弘平さんと副会長高田収さん松本敏子さんら一同との出合でした。
 簡単な自己紹介をします。山は高校生の時から古里の山【八甲田山】を徹底して登り、社会人になってから十和田山岳会に参加して槍、穂高、 北岳の中央の山に憧れて走破しましたが、朝日連峰の小朝日岳、熊の越付近に出会った「ヒメサユリ」の美しさに感動して東北の山を見直しました。汚れずに残っている東北の山を大切にしていきたいと思っています。現在東北百名山は訳有りで残っている月山以外すべて走破しています。また日本百名山や北海道百名山と目標はまだまだ先にあります。会の亊を知ったのは、私のホームページ上で宮城県雁戸岳を報告した際、三角点が無く盤石が露出した写真を載せました。そして無知な私が説明文に「不思議な石があった」と書きこんだところ、堀米晴夫さん(会員番号194番)からメールで指摘をうけました。その後三角点のことを猛勉強し結果一等三角点研究会のこと知ることができました。自作のホームページに 東北から北海道、そして全国の一等三角点の顔写真を並べるのが楽しみです。 【高籏山の天測点と子午線標探索】


16年10月23日、秋季例会で【高籏山】に登頂、広い山頂には一等三角点と小さな祠があります。広場の南東6m離れた所に【天測点】がありました。【天測点】とは三角測量の相対的測量誤差を天文測量で絶対位置を天体観測した台です位置です。このコンクリート柱上に子午線儀を載せて、夜間(たぶん)に北極星の高度角を観測したと思います。【天測点】と記載された金属板が取り付けられています。番号は読めないが17号のはずです。この【天測点】と対になっているもので【子午線標】があります。
 副会長高田さん田中さん安田さんの京都から参加組と早目に下山して子午線標探索に行く。場所は高籏山から真南へ7.7km地点で、岩瀬村瀧集落付近の小山の中にあります。瀧集落を流れる賽ノ木川の橋を渡り小針宅前に駐車、栗林から左手杉林へ、尾根を左に回るように登っていくと伐採して比較的開けた処に着く。左手に赤布の付いたところに横30p高さ1.2mのコンクリート柱が林の中に忽然と立っている。 これが【高籏山、子午線標】です。【高籏山】の緯経度はN37゜22'26".0−E140゜12'15".5から真南へ7.7q地点で、N37゜18'15".5−E140゜12'15".5に有ります。上部に金具がある。たぶん夜間、灯火付き機器をこの金具に取り付けたと思う。横に【子午線標】と記載された金属板が取り付けられています。

【高山の天測点と子午線標】
 16年4月4日、和更比山の天測点をホームページに載せて、青森県には天測点が無いと書いたら、盛岡の菊地さんからメールが来た。 私が間違っていました【高山】にあったのです。そこで3月に茨城の三毳山にカタクリの見物に行った際、国土地理院を訪問して【子午線標】の点の記をコピーして来ました。全部で48枚揃っていたのですが、貧乏な私は2枚だけ【高山】【和更比山】をコピーしました。
 【高山】一等三角点は航空自衛隊東北町分屯基地内にあります。基地に連絡したら担当の方が三沢市在住で話が合い日曜日でも、特別に入構が許可になりました。4月4日を希望し基地内担当者と再三に渡る連絡と必要書類提出をした。当日、私の山仲間や盛岡の菊地さんらと総員14名・車両4台で入構しました。担当者によると平成6年からの10年間、わたしら14名を含んで41名の入所の記録が有るそうです。前日の大雪(名残雪だろう)で心配したが早朝から除雪作業して通行出来るようになっていた。正面ゲートから車両で移動し、三角点地点まで舗装道を行き、また駐車スペースまで確保されていました。雑木林の中にあります。【高山】一等三角点、手前にバッケが春を咲かせていした。三角点の北東側に【天測点】があります。 昭和29年から昭和33年に全国で48点設置されて、ここ【高山】は「点の記」によると昭和30年10月に観測済の記録があります。【天測点】と記載された金属板が取り付けられています。番号が十(10)号と読めるが12号のはずだが。
 【子午線標】の探索。場所は【高山】N40゜49'35".3463−E141゜12'20".3654から真北へ2.78キロ地点で、見通しのきくところで。N40゜51'06".0−E141゜12'20".9地点です。基地内担当者にお礼を言い、航空自衛隊東北町分屯基地正面を出る。東北町役場方向へ向かって途中左、左と曲がり北方向に行くと横沢山牧場でここから北西に行くと横沢山三等三角点がある。新しい農免道路を下って行くと送電線と管理道の階段がある。その手前100mから右手藪尾根を登ると北西300m先の雑木林の中に横30p高さ1.2mのコンクリート柱が立っている。これが【高山、子午線標】です。【高山】は雑木林が茂って見通しがない。帰りは雑木林を北西300m行くと送電線の下に着く。ここから【高山】が見える。管理道を南へ行く。階段の下が農免道路です。

【和更比山の天測点と子午線標】
 16年11月7日、岩手県岩泉町【安黒森山】へ一人行く。石峠からの長い黒森林道を黒森牧場へ。牧場有刺鉄線を越えて笹藪を登って確認しました。新しい登山道が南側から整備されていました。帰りは野田村畑部落へ。会報「聳嶺」平成11年発行・第26号記載の三浦輝男氏「熊騒動顛末記」で熊に襲われてたいへんな事故にあった山です。14:20三浦氏と同じ畑部落の神社から薄い藪尾根を越えるとなるほど伐採道が入り組んでいる。迷いやすい山だ。尾根を3本越えてGPS数値通りに到達しました。雑木林の尾根筋を下って白い岩群との間、平らになったところに立っていました。15:00t、40分です。 立地地点から【和更比山】は見えないが尾根上部から山頂のアンテナが見えます。場所は【和更比山】N40゜02'58".8544−E141゜45'30".4896から真北へ2.9キロ地点で、標高411m、N40゜04'26".26−E141゜45'30".44地点です。【子午線標】記載金属板が黒下地が塗装されていました。帰りは次のためと尾根を下って行くと、畑と水場にでました。山道はカーブの民家「赤坂」宅裏に続いていました。15:25、15分で下る。このコースが近くて解りやすい。赤坂さんとお話をしたら子午線標のことを知っていました。「山の中のコンクリートの柱」と5年ほど前にそれを探しにいった人が熊に襲われた話など。


 この一覧表の所在地と標高、地形図名は天測点の位置です。子午線標の所在地等は私のホームページに載せていますので覗いてください。また各点の記はインタネット公開してませんので直接国土地理院に問い合わせてください。全48点はその後コピーして(舘沢さんがコピー)ものを所有してます。パソコンで緯経度を測定した資料もあります。現在GPS等観測機器の改良により【天測点】【子午線標】とも使用されていません。先人の国土測量の歴史遺産です。大切にしたいですね。各地点の現況状態などの情報をとかの資料を提供しますので連絡をください。
「会報「聳嶺」で子午線標に関しての記載
平成11年発行・第26号記載の三浦輝男氏「熊騒動顛末記」【和更比山】
平成12年発行・第27号記載の礒部純氏「鷲峰山の子午線標を訪ねて」【鷲峰山】
平成13年発行・第28号記載の松村昌子様「堂平山子午線標訪問記」【堂平山】

その後の子午線標探索
種市 昇二郎
点の記に「誰々宅で訪ねよ」というような記載の標石。知る人ぞ知るまったく山の中にあるのが子午線標である。前回投稿後の子午線標探索を報告します。子午線標とは何ぞやは会報第31号33頁の私の記事や第33号49頁の一覧表を参考にしてください。

標番号第3号、「箟射峯ノシャプ子午線標」25.36m、北海道稚内市板海クトネベラ、緯度45°19′43″.65 経度 141°38′56″.08、天測点南方8.4km、牧草地
 2005年9月16日、利尻礼文島に渡る前に寄る。日本海沿いの道は海岸の原野を一直線に延びて行く。海の向こうに利尻山が海に浮かんでいる。抜海漁港を過ぎるてクトネベツ川の橋を渡って右へ左の小山にコンクリート柱が見える。牧場広場に駐車して柵沿いに登る。牛が侵入者にびっくりして見ている、牧場小山の左端に本点がある。ここからノシャプ岬が見えます。

標番号第7号、「当別丸山子午線標」標高不明、北海道上磯郡茂別村市之瀬、緯度経度不明、天測点北方6.5km、未踏査、
 2005年11月13日、山仲間の忘年山行を北海道にしました。初日は江差町八幡岳へ。笹山神社の鳥居から急斜面のジグザグの登山道を登る。尾根の笹山神社参道分岐、右手の笹原の行く手に八幡岳が見える。「八幡岳」一等三角点664m、笹山神社に戻りランチタイム、「笹山」611m、「元山」522mと巡って登山口着く。函館の「しんわの湯」で飲み放題とカラオケで大宴会。
 翌日、函館「しんわの湯」から上磯町当別のトラピスト修道院、修道院裏が登山ロ、マリア像に安全登山を祈願し登る。「当別丸山」482.33m、一等三角点と天測点がある。ここより北方へ6.5kmの地点に子午線標があるはずだ。茂辺地川沿いの送電管理道を登り尾根を探索、男子参加者全員で大規模探索したが見つからなかった。

標番号第9号、「鹿野山子午線標1」70m、千葉県君津市練木229、緯度 35°18′53″.94 経度 139°57′21″.94、天測点北方8.4km、農家裏竹林
「鹿野山子午線標2」、「鹿野山子午線標3」116m、千葉県君津郡小糸町練木字外平246大鷲トンネル上、緯度 35°19′07″.34 経度 139°57′20″.57、天測点北方8.8km、雑木林
 2007年3月11日、千葉県の一等三角点と里山探索。今日はあいにくの雨、君津市中村練木の集落、農家が所有しているので敷地内通行の許可をもらう。雨の中、E宅の敷地内を通って裏山のモウソウ竹林の中にある祠まで登る。この上に本点がある。伐採したモウソウ竹が回りに放置されているので片付ける。左上部が自然崩壊している。雨の曇天で光量不足でデジカメ撮影には暗すぎる。農家敷地に戻り同様の子午線標がこの山の上にあるとの情報からその場所に行ってみることにする。車で集落の端にある舗装林道を行くと峠地点に右脇道がある。ここから歩いて数分笹竹を刈り払ったところがある。このに菱型基線点東端点(小糸),と子午線標がある。子午線標が2基立っている。コンクリート素材が普通より違う。また上部になにやら不思議な金属板が取り付けられていた。見通しの良いところに菱型基線が立っている。その上に反射板が設置されて鹿野山方向を向いている。その後鹿野山の地理院内を訪問、「鹿野山」352.39m、一等三角点、天測点は残念ながら撤去されている。

標番号第13号、「三森山子午線標」205m、秋田県平鹿郡雄物川町字大沢、緯度39゜16′15″.80経度140゜21′18″.96、南方2.9km、雑木林 
2004年11月20日、秋田県雄物川町の大沢集落。出羽グリーンロードを2qほどに三ツ森山の案内板がある。左の金峰山林道を1q行くと三ツ森山登山口駐車場に着く。子午線標へは出羽グリーンロード十字路を右、本庄方向へ2q、送電線の真下あたりで左下の田んぼ道に駐車。小川に架かる送電線管理道用の杉丸太橋を渡る。南東方向の杉林の尾根を直登。尾根に出たら東に雑木林の境界線上に有る。

標番号第14号、「箟嶽山(箟峯山)子午線標」4.4m、宮城県登米郡米山村中津山道場曽根、緯度38゜36′55″.28 経度141゜10′17″.98、北方5.7km、民家敷地
2005年8月21日、箟岳観音の西に有るNTT電波塔その脇に「箟峯山」222.3m、一等三角点があり東根笹茂る奥に天測点を確認。ここから北方に移動し涌谷町鈴懸、五十鈴橋を渡り追土地の田んぼ道水門周辺を探索、S宅に訪問し訪ねたところ当宅の塀の内側に隣接してあった。

標番号第15号、「高舘山子午線標」51m、山形県西田川郡田川村大字田川、緯度38゜42′00″.86経度139゜44′50″.85、南方6.9km、農家裏の畑の中 
2004年11月21日、高舘山展望タワー芝地にある「高舘山」273.79m、一等三角点、天測点を確認。三角点は休憩所脇で車輛が入って衝突したようで傾いている。国道7号線を横切って大山川沿いの田んぼ道を中里集落へM宅前に駐車し。訪ねたところ当宅の裏山中腹の畑にあった。周囲が草茂り覆われいるので家人と一緒に刈り払った。

標番号第16号、「多宝山(弥彦山)子午線標」150.81m、新潟県西蒲原郡弥彦村字麓、緯度37°40′52″.99 経度138°48′58″.81、南方3.9km、山道有り
 2007年6月9日、「角田山」標高482m、三等三角点に登り弥彦山へ移動。弥彦スカイラインを利用して頂上近くまで登ると峠部分に道がある。縦走登山道をレーダードームを目指して行く。「多宝山」633.79m、一等三角点、南側に天測台がある。弥彦神社を参拝して弥彦スカイラインを西に下る。雨乞山の下に猿ケ馬場と思うカーブ地点に駐車し見ると山道の踏み跡がある。無用に多くロープが付いた道だ。この道を数分下ると道の真ん中に立ち塞がるように立っていた。

標番号第19号、「堂平山子午線標」799m、埼玉県比企郡都幾川村大野、緯度35°58′01″.77 経度139°11′24″.37、南方4.3km、山道有り、
 2005年5月4日、飯能市高麗本郷の「物見山」375.44m、一等三角点を確認し堂平山天文台観測所へ林道行く。関八州見晴台を通過しぶな峠と刈場坂峠の中間にある879.1mピーク(正丸山)手前に脇へに入る山道がある。この山道を辿ると雑木林の中に有る。
堂平山天文台観測所は「堂平山」875.793m、一等三角点と天測点がある。

標番号第21号、「越城山子午線標」10.45m、富山県婦負郡呉羽町大塚字南上割文畑、緯度36゜43′59″.80 経度137゜09′50″.27、北方3.9km、畑地脇
2007年6月25日、東京四ツ谷社団法人日本山岳ガイド協会で登山ガイド一次試験、筆記検定試験を受験(各科目とも上級で問題数も多い難問でした。最後に小論文。不合格かなと思ったが合格しました。その後4部門の実技検定を一年かけて受検しすべて合格しガイド認定を受けました)帰りはJRフリーキップを最大限利用して石川県へ。金沢駅前の安旅館に泊り、西金沢の小学校の校庭にある「専光寺」5.01m、一等三角点タッチし普通富山行きで呉羽駅に行く。駅の反対側へと踏切を渡り住宅地から田んぼ道を行く。農作業中のお母さんにコンクリート石の件を尋ねたが判らない。所有者の名前で尋ねたら向こうの木の茂った家だと言う。子午線標は家の前の畑の脇にあった。帰りは呉羽駅に戻らないで越城山に登ることにする。そのまま踏切を渡って直進する。スーパーの駐車場を抜けて放送アンテナが乱立する山を目指してすたすら歩く。雨があがったが今度は蒸し暑い。山頂の駐車場に着く。遊歩道がある。大公さん豊臣秀吉が朝倉攻めの時に陣を張った山城だ。城跡の小山に本点と天測点がある。「越城山」145.28m、一等三角点、さて次は西富山駅から高山本線普通で富山へ北陸本線普通直江津行きで西入善駅に。駅員の居ない寂しい駅、踏切を渡って北側の集落へ。田んぼ道を行くと道の脇に湧き水がある。富山平野の湧き水地帯で名水のようだ。美味しかったのでペットボトルに入れる。日本海の海岸近くにキャンプ場がある。このキャンプ場から遊歩道があり「三角点へ」と表示した標識があった。砂地で松林の道を行くと松林の丘の上に本点がある。「園家山(岨之景)」17.36m、一等三角点、以上一人気ままなJRフリーキップの旅でした。

標番号第25号、「髻山子午線標」標高不明、長野県上水内郡三水村普光寺、緯度36゜46′25″経度138゜14′37″、北方5.9km、亡失か
2006年7月17日、戸隠山に登る予定だったが大雨のため中止し髻山に行く。戸隠そばが美味しかった宝光社「富岡旅館」から戸隠バードラインで飯綱高原から髻山へ。林道三登山の途中に登山口がある。手入れの良い杉林の道、雨は止まないが気にならない。20分ほどで山頂に着く。「髻山」もとどりやま、744.46m、一等三角点、髻山城跡「戦国時代川中島合戦において葛山、大峰山、旭山、権山、飯山の諸城と共に宿敵武田信玄の野望を粉砕するための勇将上杉謙信の重要な砦であった」と説明文がある。東屋と天測点がある。林道ゲートに戻って子午線標を探しに行く。牟礼村の牟礼駅から北側の三水村、田んぼ脇の細道を進む、途中農作業中の方に道を譲ってもらって行くと新しい道路が出来ていた。一面田んぼなので見晴らしが良い。正面南側に髻山が見える。山頂から5.7kmで見通しが利く地点だ、しかし子午線標が無い。農作業の老人に尋ねたら昔見たことがあるが道路新設や田んぼ改良工事で撤去されたようだ返事があった。

標番号第28号、「高鈴山子午線標」383m、茨城県日立市入四間字大之平御岩山、緯度36゜38′46″.03 経度140゜35′16″.31、北方2.7km、笹藪
2006年3月18日、御岩神社から間違って裏参道を登ってしまった。岩場でロッククライミングの場所に着いた。無理矢理登り尾根道の御岩山の中間に出た。アセビのトンネル道を行く「高鈴山」623m、一等三角点、天測点は北側にある。葵の紋の御岩神社に参拝して木ノ根坂集落の奥に入って栗の木のところに駐車、斜面を登る。奥日立きららの里の施設内には無い。戻って東根竹笹藪の中を覗くと踏み跡がある。頭から潜り辿って行くと有った。笹の埃だらけになった。

標番号第31号、「朝熊山子午線標」4.4m、三重県伊勢市朝熊町字龍ケ谷、緯度38゜36′55″.28 経度141゜10′17″.98、北方5.7km、藪山
2008年4月29日、二見浦の民宿「潮騒」泊り、早起きして二見浦に朝日を見に行って夫婦岩のご来光に手をあわす。観光道路朝熊スカイライン八大龍王社入口の舗装道を登り左へ犬が吠える家の前をぬけて広場に着く。右手丘の中に本点がある「朝熊ケ岳」478.01m、一等三角点、雑木林の中、夏草が多い、入口側に天測点がある。戻って朝熊町の近鉄鉄道沿いの頭上に送電線が走っている駐車スペースに停めて黄色い管理道標識の道へ入る。薄暗い沢、防空壕跡のような横穴がある。ヤブを掻き分けて尾根に着くと踏み跡がある。東へ辿るとすぐ見つかった。帰りに松坂牛で有名な町松坂市、市外の畑の中にある「大平尾村」4.53m、一等三角点にタッチする。

以上、全国に設置された48箇所の中で前回3個所と今回の12個所の探索報告しました。まだまだ未踏査地点が有りますので、ヤブ歩きの好きな方探してみてはいかがですか。
さて、天測点と子午線標を調べていったら、一等三角点のそばに別な標石があるのに気が付きました。それは方位標です。福島県の「鳥屋山」、岩手県「雷神峠」、千葉県「高神村」に有りました。四等三角点と同じ大きさで「方位標」と刻字があった。
三角点仲間T氏が国土地理院で測量標原簿を閲覧したら天測点と子午線標は昭和29年から全国に48点設置されたが、それ以前の昭和26年に方位標が設置されていたのです。つまり同じ天測観測のための標石であったが大型の子午儀を置く観測台として天測点へと変わっていったと考えられます。測量標原簿を調べると全国に27箇所設置されたことになっています。
天文測量の目的で方位標を設置したとすれば対になっている子午線標に相当するものが数km離れた地点に方位標と同時に設置されているはずだがさて現存するかどうかは不明である。

国土地理院の測量標原簿にある岩手県久慈市の「高堂山」一等三角点の方位標を探します。
久慈市夏井町の国道45号線峠地点、下り坂道になる所にモーテルの看板がある。そこから脇道へ入る。そのモーテルは廃業していた。モーテル正面広場に駐車して松林の踏み跡を歩く。山頂部の松林はすっかり伐採されて広い広場になってしまった。「高堂山」一等三角点、数回訪問したが方位標の存在は知らなかったし見えなかったが、伐採のおかげか直ぐ方位標の存在を確認できた。一等三角点から南へ5mほど離れたところに方位標ある。西側「方位標」、南側「基本」、北側「地理調」、東側「No9」と刻字がある。この石は佼第9号「高堂山」昭和26年8月1日に設置されたものだ。佼第9号は冠字選点番号で「佼こう」は埋標者北野芳徳氏の冠文字で9番目に設置したものと考えます。点の記を見ると方位標の記載がある。このように点の記に記載があるのは高堂山・雷神峠・聖山・戸倉山・高天神山の5箇所です。
高堂山の方位標が天測点とすれば子午線標の役目をする方位標が有ることになる。その場所は測量標原簿住所と見通しから推理すると南へ7km地点だろう。久慈市長内町運動公園と温泉施設がある。その場所は送電鉄塔方向だろうか。住宅地から林道へ赤布取りつけた地点に駐車して付近を探索したが赤布はまったく関係ない。雑木林の中を北側へ探したが解らない。近くで作業中の人に聞いたら「戦後見たことがある」とその場所に案内してもらったが倒木伐採した木が散乱して隠れてしまっていた。この下に方位標があるようだと腐敗倒木を小さい鎌で片付け格闘して遂に発掘、何十年ぶりかに日の目に出たのだろうか新品のようにきれいな石である。方位標は現存してました。
佼第10号方位標「長内」昭和26年8月1日設置、緯度 40°10′49″.01 経度 140°47′05″.64 、標高94m、南方7km地点
以上、全国に設置された48箇所の中で前回○無個所と今回の○個所の探索報告しました。まだまだ未踏査地点が有りますので、どうか皆さんも探索し報告と連絡をお願いします。
さて、天測点と子午線標を調べていったら、一等三角点の側に別な標石があるのに気が付きました。それは、方位標です。福島県の「鳥屋山」、岩手県「雷神峠」、千葉県「高神村」に有りました。四等三角点と同じ大きさで「方位標」と刻字があった。
ある三角点仲間が国土地理院の測量標原簿を閲覧したら天測点と子午線標は昭和29年から全国に48点設置されたが、それ以前の昭和28年に方位標が設置されていたのです。つまり同じ天測観測のための標石であったが大型の子午儀を置く観測台として天測点と変わっていったと考えられます。
天文測量の目的で方位標を設置したとすれば対になっている子午線標に相当するものが数km離れた地点に方位標と同時に設置されているはずだがさて現存するかどうかは不明である。

 国土地理院の測量標原簿にある岩手県久慈市の「高堂山」一等三角点の方位標を探します。

 久慈市手前、夏井町の国道45号線峠地点、坂道になる所にモーテルの看板がある。そこから脇道へ入る。そのモーテルは廃業していた。モーテル正面広場に駐車して松林の踏み跡を歩く。山頂部の松林はすっかり伐採されて広い広場になってしまった。「高堂山」一等三角点、数回訪問したが方位標の存在は知らなかったし見えなかったが、伐採のおかげか直ぐ方位標の存在を確認できた。一等三角点から南へ5mほど離れたところに方位標ある。西側「方位標」、南側「基本」、北側「地理調」、東側「No9」と刻字がある。この石は佼第9号「高堂山」昭和26年8月1日に設置されたものだ。
 高堂山の方位標が天測点とすれば子午線標の役目をする方位標が有ることになる。その場所は南へ7km地点だろう。久慈市長内町へ運動公園とその先に温泉施設があるがその場所は送電鉄塔に方向だろうか。住宅地から林道へ赤布取りつけた地点に駐車して付近を探索してが赤布はまったく関係ない。雑木林の中を北側へ探したが解らない。近くで作業中の人に聞いたら「戦後見たことがある」とその場所に案内してもらったが倒木伐採した木が散乱して隠れてしまっていた。この下に方位標があるようだと腐敗倒木を小さい鎌で片付け格闘して遂に発掘、何年ぶりかに日の目に出たのだろうか新品の石である。佼第10号方位標「長内」昭和26年8月1日設置、緯度 40°10′49″.01 経度 140°47′05″.64 、標高94m、南方7km地点

 

 

天測点と子午線標一覧 

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